旅/ヒルマ・アフ・クリント展のことなど

空っぽになって旅に出て、色んなことが刺さりすぎて脳が覚醒し、この感動を書き留めておこうとすると何から書いていいのかわからないことってありませんか。そんな時は寝かせて落ち着いて、残るものが明確になってから書いたほうがいいとはわかっているのですが、妙な解像度で書いてみたいと思います。

東京国立近代美術館「ヒルマ・アフ・クリント展」。とにかく素晴らしかった! 特に〈10の最大物〉。展示室中央の巨大な直方体(のような展示什器)の壁に、高さ3mを超える作品10点が展示されています。部屋のまわりにぐるりと配置されたベンチに腰掛けたり近づいたりしながら作品と対峙できるつくりとなっていました。次の壁を覗く時の「わ!」という感じを何度も味わえるだけでなく、作品のまわりを何周してもいいわけです(多分)。2周目には1周目に気づかなかった色の息吹に気づけたりしました。
ヒルマ・アフ・クリントさんは1862年生まれのスウェーデンの抽象画家。スピリチュアルを創作の源泉とした作品はデザイン的で、心が共鳴するような感じがしました。もし自分が中学生の頃に出会っていたら傾倒していたかもしれません。

4F-2Fまでの所蔵作品展では新収蔵作品などを多数見ることができ、中でも清宮質文(せいみや・なおぶみ)さんの木版画に惹かれました。企画展と同時に見るには贅沢すぎて日を改めたかったぐらい。所蔵品展は図録で見直せないのがツライところです。

とても満たされた気持ちで九段下の駅まで歩きます。左手にお濠と石垣(と大きなタマネギ)、右手に高層ビルと白い月という江戸東京大満足ロードでした。

半蔵門線で移動後チェックインを済ませ劇場へ。ムスメ1号が出演するお芝居を観るためです。しっかりと作品の世界の中を生きており、内側からあふれ出る気迫に圧倒される場面もありました。心からよい舞台でした。大きくなったなということより何より、人間としての輪郭ができてきている気がして、色んなことが「あと少し」かもしれないということを考えながらもと来た道を戻りました。

次の日。

東京都美術館「ミロ展」。<星座>シリーズ3点は夜の中に浮かび上がるような展示。画面の中の抽象的な表現はすべて意味ある「記号」なのだそうです(うろ覚え)。部分では恐ろし気な目があったりするのですが、全体から受ける印象は違うから不思議です。信念というか根っこの部分は既に若い頃にでき上がっていたように感じました。ちょっと駆け足気味に見てしまったので、後日音声ガイドを聞きながら図録を眺めて「そういうことだったのか!」と膝を打ちたいと思います。ちなみに図録は「涙の微笑」が表紙の黄色にしました。

上野動物園。3歳ぐらいの時に連れて行ってもらって以来。広い! 様々な動物を見て特にペンギンに癒されました。「鶴だ! 鶴は本当に存在しているんだ!」という月並みな感想を抱き、ハシビロコウの鋭い眼光にしびれ、フラミンゴの鳴き声の何事感に驚き。虎はかっこいいし、キリンは美しいし、サイもカバも大きい。3歳ぐらいの私はここに連れてきてもらったんだなぁと熱いものがこみ上げてきました。あの時買ってもらったキリンの丸いキーホルダー、机の抽斗に大切に持っていたのに今はどこにあるのかな。

動物園の出口を失敗して上野公園をさまよっている時にすれ違った親子連れの会話がほのぼのでした。「みんなで博物館行くの今日が最後だよ」「あ、そうか」「そうだよ、中学生になったら自分で行けるもんねえ」。そうなんだね、ご卒業おめでとうございます(心の声)。雪がちらついてきました。

やっとの思いで辿り着いた上野駅では山手線が運転見合わせですと! 落ち着いて京浜東北線で浜松町まで行き、キキララのモノレールに揺られて空港。N.Y.キャラメルサンドに並んだ後、3桁の搭乗口からリムジンバスで飛行機へ。空の上で旅の間の出来事を振り返りつつ無事徳島に帰り着いたのでした。

もっと頻繁に旅をしたいと思うこともあるけれど、これが普通になってしまったらキラキラを持ちきれないとも思います。空っぽになってから旅に出る。私にはそれが合っているのかもしれません。